「分からない」を考える

仕事でフラフラである。グラインドコア聞きながらがんばろ。


「分からない」とは一体何だろうか。ここでいうのは、小説なり映画なり演劇なりを鑑賞した後にわき上がる思考のことです。「分かる」が分かれば、「分からない」がわかるかもしれない。goo辞書で「分かる」を引いてみるとしよう。

「分かる」ーーー意味や区別などがはっきりする。理解する。了解する。

ほお。つまり、「分からない」はこれの反対だ。意味や区別がはっきりしない。理解できない。そういうことか。


一般に、私たちが何かを鑑賞し「よく分からなかった」という感想を抱く時、それは具体的には「何がはっきりしなかった」のか?思いつく限り書いてみよう。

①話の筋が分からなかった
②登場人物がなぜそう行動するのかが分からなかった
③物語の背景知識がなく、用語や固有名詞が分からなかった

…ってたった三つかよ!仕方ない。これが今の私の限界ということだ。順に考えてみましょう。


①については、時系列がバラバラな場合は分かりにくくなりますよね。あとは、現実と想像の境目が曖昧になっているような作品もこれに当たるでしょう。これらを解消するには、複数回鑑賞する、というのが最も現実的な対処法だ。一度観て分からなかったら二度観る。


でも、私を含めて、多くの人はなかなか「分からない」作品を複数回観たり読んだりはしない。なぜか?多分だけど、面倒臭いから。あと、もう一回観て読んで分かるとは限らないから。


話を追えないというのは、特に後戻りができない形式の作品を観る際に足枷になる。脳味噌に今までのお話をストックできてないと話が追えなくなるよね。ここはどうやって鍛えたらいいのか、ちと私には分からんのお。


②はどうか。主人公を含めた登場人物が作中で特定の行動を取った理由が見えないと「分からな」くなるよね。「母親を殺されたので、その犯人を探し出して復讐する」、というのはこりゃあ単純で分かりやすい。ただこれが「母親を殺されたので、その犯人を探し出してお中元とお歳暮を毎年贈り続ける」となると、「え?」ということになる。


ただ、行動には動機がある(ことになっている;大抵の場合)ので、それは作品のどこかに書かれて又は描かれているはずだ。ってことは、注意深く鑑賞すればそこら辺も解消されるかもしれない。問題は、動機らしきものを見つけても、受け手がその動機と行動の紐付けをするのが困難な場合だ。このケースだと、「人はこういう状況ならそういう行動を取る」という、ある種のルールに従うのが無難ってことか?うーん。


③は、一番厄介なのかもしれないな。例えがアレで申し訳ないが、映画『キック・アス』はいきなりそれだけ観てもじゅーーーーーぶんに楽しめる作品ですが、アメコミについて多少知っていると、楽しさが更に増すと思うんですよ。ビッグダディはバットマンのパクリだし、アメコミの知識があると「凡人はヒーローにはなり得ないのか?」というテーマに対して少しだけ深く理解できる。はず。


ここでいうアメコミの知識というのをうーんと広くしたのが「教養」ってやつなのではないかと私は睨んでいる。あ、当然ですか。そうですよね。なくてもある程度は分かるが、もっと分かるには必要なもの。でもそんな知識なんて一朝一夕で身につくもんじゃない。む、だからそういう知識の習得に最も時間を割ける、「学生」ってステータスの時に勉強しておくのが大事なんだ。遅すぎるということはないけど、やっぱやるなら早くやっといた方がいいよね。


そう言えば、山形浩生も「シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』を知っていれば、映画『ロミオ・アンド・ジュリエット』の感じ方も知らない人よりよく理解できる」という意味のことを著書で述べていた。教養って大事じゃん。


おしまいに。これら三つとは異なる「分からない」もある。話の筋はっきりと分かり、登場人物の行動の理由も分かり、背景となる知識も備わっていたが、「なぜ世間で評価されたり良いと言われているかが分からない」だ。これはなあ。割とやっかみが多いんじゃないのかね。また今度考えます。


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