俺の中の殺し屋

本書は、もう随分と長い間気になっていたもので、いつだったか『小説の技巧』という本を読んだ時に名前が出てきたように記憶している。或は出てきていないかもしれない。ともかくも、何かのきっかけで気になっていたのである。


お話は。


テキサス州の田舎町の保安官助手を勤めるルー・フォードは、地元の郡を出ることもなく、ただバカを装いながら仕事をしていたが、彼はある「病気」を抱えていた。町に娼婦が引っ越してきたことがきっかけとなり、「病気」がぶり返してしまったのだ。その「病気」は、タイトルを見た方には説明するまでもないだろうが、「人を殺してしまう」という病気だった。彼は策を巡らせるが、ひょんなことから彼の計画は狂い始め…というもの。


今年本作は映画化されたものが公開された。そんで原作が平積みされていて購入したのだった。


この小説が特異なのは、語り手が犯人である点。普通は犯人は多くを語らない。でも本作のルー・フォードは、まあ喋る喋る。だから、フォードの恐ろしさは、ほぼ何も話さないレザー・フェイスやバッファロー・ビルの持つそれではない。


普段からバカのふりをしているから饒舌だし、人をぶん殴って殺している最中や殺した後も饒舌だ。

「おれは笑ったー笑うほかなかった。さもないともっとひどいことをしてしまいそうだったーやつは目を固く閉じて泣きわめいた。おれは笑いながら大声をだし、前かがみになって自分の腿をぴしゃぴしゃ叩いた。体をふたつに折り、笑い、屁をし、また笑った。おれにしても誰にしても、もう笑いがなくなってしまうまで笑った。おれは世界中の笑いを使いつくしてしまった。」

そんなバカな、と言いたくなるがその情景も浮かんでくるから強ちバカとも言えんですな。


連続殺人犯は、全員が宮崎勤みたいな奴なわけではなくて、ちゃんと普通に人とコミュニケーションを取れて、しかも仕事もしているという奴もいる。本書の解説でスティーブン・キング(おれ、この人の本いっっっこも読んだことないんだよな)が書いているように、テッド・バンディやジョン・ウェイン・ゲイシーなどは「一見ちゃんとした」連続殺人犯だった。ってこの私の情報だってせいぜいが『FBI心理分析官』から仕入れたものだが。


兎にも角にもそういう、普通の顔をした危ない奴ってのはいるんである。が、私はここで安易に「殺し屋」が「自分」や「あなた」の中にいるなどとは書かない。普通の顔をしたイカれた奴がいる、というのは、普通(だと思われる)奴の中にイカれた部分があるというのとは違うからだ。


いかにもこれを読んで「私の中にも『殺し屋』が潜んでいるのかもしれない」などと書くのはバカっぽいしな。いや、いない奴なんているわけないもん。


実際、言われもなく他人をぶん殴りたくなったり滅茶苦茶にしてやりたくなったりする人は(私も含めて)多かろうとは思うが、それを本当にやっちゃうのは極々少数なんである。


と。何やら随分と感想から脇道にそれた感はあるが、1950年代にこういう小説を書いたジム・トンプスンという人はやはり凄い人だろう。よくある話だが、この人は死んでから作品が評価されたそうで、まあそれも仕方ないのかもな。


どうでもいいことかもしれないが、この作品の邦題は河出書房から出ていた時の『内なる殺人者』の方が『おれの~』よりもずっといいと思う。


主観的面白さ:★★★★/5



2011/6/7 (U)

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